日本、大健闘の7位!
独特のバスケットボールスタイルを世界に轟かす
日本バスケットボール、その姿を世界に轟かせたアトランタ・オリンピック。クレバーな萩原、天性のセンスを持つ加藤の両エースの働きに、効果的に決まる3Pシュート、早いファーストブレイク、そして、全員が小さな体をめいっぱい動かすアグレッシブなディフェンス。これらを武器にして、日本はアジア勢最高の7位という成績を収めた。それは、90年よりヘッドコーチを務める中川文一(当時シャンソン化粧品)と原田、一乗、村上、加藤、濱口、大山らが、数々の国際大会の経験を積んで築いたスタイルだった。
目標は「予選リーグを突破して6位入賞」。そのためには予選リーグで最低2勝することが条件だった。そのターゲットとなったのが、中国、イタリア、カナダ。緒戦のロシア戦で浮き足だったことを反省した日本は、2戦目の中国戦ではこれ以上ないという会心のゲームを展開する。当時、世界に君臨していた204cmのセンター、ジュン・ハイシャを濱口が体を張って守り、相手のエース抑えのためにスタメンに抜擢された大山が期待に応える。そして、加藤がリバウンドに奮闘し、村上、萩原の3Pシュートなどでうれしい初勝利を上げた。
しかし、次に勝負をかけたイタリア戦では痛恨の逆転負け。自力で決勝トーナメントに進出するには、最終・カナダ戦で勝たなければならなかった。カナダも条件は同じで、互いに粘り合いのゲームとなった。一時はカナダに11点のビハインドを負うが、一乗、萩原、大山らの起死回生の3Pシュートで延長戦を制した。
そのミラクル3Pシュートと、小さな選手が身体を張って戦う姿に、バスケットの本場・アメリカ国民から賛辞の言葉が贈られた。準々決勝のアメリカ戦では93-108と敗れはしたが、大会中、対アメリカ戦で最少点差と健闘を見せたのだ。男子ではNBA選手によるドリームチームが脚光を浴びた大会だったが、内容の振るわなかった本家に変わって「本物のドリームチーム・アメリカ女子に健闘した日本」と、現地の雑誌にも紹介されたほど。それほど、日本が生み出した独特のチームカラーは、大型化が進む世界の中で魅力的だったのだ。
7位決定戦のイタリア戦では予選リーグの借りをきっちりと返し、7位で大会を終了。エース格の活躍に、若手の成長もあり、日本のバスケットボール・スタイルが次代に継承された大会だった。
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